平成19年6月11日、「みやぎ長野県人会創立百周年式典・祝賀会」がパレス平安で盛大に行われました。

3年前から記念行事実行委員会が作られ、依田掌・委員長のもと、野神修・行事委員長、有賀岩雄・記念誌編集委員長、山口一人事務局長を中心として準備が進められてきました。11日(日曜日)には会場は参加者で満員になり、式典と祝賀会は盛大に、かつ楽しく行われました。以下、参加できなかった長野県人会の皆様に会場の様子を写真と動画で紹介いたします。

会場入り口

 

開会の挨拶・依田実行委員長

 

挨拶する村井長野県知事。

 

 

挨拶する村井宮城県知事

 

 

祝賀会に先立ち記念撮影が行われ、祝賀会が始まりました。

↑松沢節子さんとその社中による「仙台すずめ踊り」

 

 

↑木曽の盆踊り。最高齢は83歳(仮装)。皆さん木曽から特別出演

 

 

↑城正男さんの「スコップ三味線」

 

 

各テーブルには白樺の木に地方名や川の名が書かれ、顔見知りが集まります。

上左:木曽川で育った3人。上右:千曲川で出会った(?)二人。

 

 

上:有志による「ふるさと」の合唱

 

 

上写真:記念誌。題字:依田掌。絵:両角繁博「浅間山初冠雪」

 

 

「記念誌 あいさつ 依田掌会長」 人の心を育むのは家族であり、故郷であり、読書や師、友との出会いであると言われる。そんな心のはたらきを広い意味で「文化」と称している。
いにしえを脈々と今に伝える伝統の文化、みやぎ長野県人会。みやぎ長野県人会が一世紀にわ たる歴史を経て、今目も歩み続ける二とができるのは、先輩長野県人各位のたゆまぬ努カと知カの足跡にほ かならない。この功績に対し、深甚の敬意と謝意を捧げるとともに、衷心よりお祝詞を申L上げる次第です。
時は、明治39年(西暦1906年)。国は、日露戦争により極度に経済が疲弊していました、おりしも、宮城県は製糸産業に活路を見いだそうと、先進県である長野県から数人の製糸技術者を招聘。この技術者達が中心になってこの地 の製糸産業を盛んにし、そして、その振興に大きく貢献しました。
彼らはある時は遠い故郷を偲び、またある時は心のよすがを求め、製糸工場の片隅で仲問達と語り合ったに 違いない。そんな小さな集いが、同郷の会みやぎ長野県人会に発展していったのは自然の成りゆきでもあったた事でしよう。
それから百年の歳月を経た21世紀の今日、この記念すべき日を皆様と共に分かち合えることは無上の喜 びに耐えません。この時代に出会えた喜び、そして時代の変遷と共に歴史を振り返り、また故郷への思い等を綴り、百周年記念誌を編纂して、後世に伝え残すのも我々の責務と考えております。
信州人は、とかく真面目で議論好き、そして教育熱心で郷土愛が非常に強い。それは県を取り巻く白然環境など、 その地理的特徴が与える影響が少なからずあると言われる。我々の心の歌とも言える「信濃の国」、歌詞は文語調ですが、そんな風物、自然を称え、そして時代を切開いた偉人達を偲んでいる。この歌を耳にすろと遠く故郷を離れていても、信州としてのアイデンティティ が彷彿と蘇ってくる。長野県人会五誓はそんな信州人の心の誓いでもあるでしょう。 われわれみやぎ長野県人会は五誓の元、異境ににあってその地に同化し、共鳴し、そして社会に奉仕する心を忘れてはなりません。
創立から一世紀を経た今日、故郷との距離は変わりませんが、交通機関の発達や情報の伝達が驚異的 に進み、人、物そして情報の交流が一段と活発化し、昔の面影はありません。そんな時代にみやぎ長野県人会は、故郷と宮城の掛け橋となり、その交流のお役に立てればと考えております。
この度の百周年記念誌編纂に際し、業務多忙の折、ご親切なご挨拶を頂戴した故郷長野県の村井仁知 事、また、過分な励ましの言葉を頂いた宮城県の村井嘉浩知事に対し、会員を代表して衷心より厚く御礼を 申し上げる次第です。
最後に会員各位のご繁栄とご健勝を祈念し、また、本誌にご寄稿下さった方々、及び編纂の労をとって下 さった委員各位に深く感謝を申し上げます。みやぎ長野県人会創立百周年記念は一つの通過点に過ぎま せん。今後も楽しく健全にそして信州人の誇りを胸に末永く継続してゆくことを願って止みません。

その他、多数のすぐれた演芸出し物がありました。役員の方々、ご苦労様でした。

みやぎ長野県人会役員名簿  H16年4月~18年3月

▲みやぎ長野県人会役員名簿▲  H16年4月~18年3月

役  名 氏    名 出  身
顧問 池田文明  飯田市
唐沢好美  飯田市
相談役 武井一安  松本市
両角繁博  更埴市
久保田昭  飯田市
名誉会長 金井  力  佐久市
会長 依田  掌* 佐久町
副会長 野神  修  高森町
吉池昭雄  千曲市
羽場  忍* 飯田市
事務局長 山口一人* 長門町
会計幹事 津田泰義  松本市
藤森淳一  諏訪市
会計監査 仲村容言  長野市
青木忠勝* 長野市
常任理事 高見澤建雄  川上村
加藤純二  飯田市
有賀岩雄  富士見町
後沢三郎  高森町
松沢節子  松本市
坂口  稔* 諏訪市
幹事 柳沢男一  茅野市
川上賢連  飯田市
三浦邦夫  長野市
岡村郁男  梓川村
中村  正  信濃町
中島幹夫  岡谷市
奈良芳男  上松市
関  高  飯田市
田下泰雄* 木曽福島町
(*=新任)

平成17年6月27日 長野県人会・定時総会(第99回)

 ▲平成17年6月27日 長野県人会・定時総会(第99回)▲

勾当台会館において総会が開かれました。近づく100周年記念総会について、企画実行委員会の体制が作られ、3月15日に行われた委員会の報告がありました。懇親会では、野沢菜、五平餅が各テーブルに配られ、皆でなつかしく、味わいました。野沢菜も五平餅も実は仙台で入手は可能なのですが、役員が特別に長野県の店から取り寄せるだけあって、本物の味でした。長野県に多い姓、顔なじみになったなつかしい会員に会うと、なんだか郷里に帰ったような感じがするのです。そしてあの長~い「信濃野の国」を総会と懇親会で二回も歌ったのです。

平成17年1月30日 長野県人会・新年会のご報告

 ▲平成17年1月30日 長野県人会・新年会のご報告▲

1)勾当台会館において新年会が行われました。新人会員4人を含め57人の参加がありました。いつものとおり、開会の言葉、国旗・県旗への敬礼、物故会員に対する黙祷、五誓の朗読のあと、県歌「信濃の国」の斉唱をしました。
 
そのあと、会長挨拶、100周年行事企画と記念誌編集について、担当委員長の提案などがあり、続いて岩手大学名誉教授・横田清会員による「ブルーベリーの魅力を語る」という講演がありました。(新年会にも大学名誉教授を招いて学問を忘れないという長野県人の向学心に、我ながら感心します。これにつれあいが「ついて行けない」と言うことが多いので、長野県出身者のつれあいが望ましいのですが、そうすると今度は食堂や寝室も勉学の場となる可能性がありますのでご注意下さい。)続いて部屋を変えて懇親会に移り、午前11時に始まった新年会は午後3時ころ終了となりました。

 いろいろ紹介したいことはあるのですが、今日は、依田会長の挨拶から、みやぎ長野県人会の発祥について紹介をします。

 

 

 2)みやぎ長野県人会の誕生ー長野県と宮城県のかかわりー1

再来年の2007年が100周年ということは、県人会は1906年に結成されたということです。前年の1905年つまり明治38年に日露戦争が終結しました。この年は東北地方が大凶作だったそうです。宮城県では産業育成が計られ、翌年、長野県の片倉製糸株式会社が仙台市東五番町に支社を作りました。同じ年、東北帝国大学も作られたそうです。長野県から片倉製糸の社員が来て、すぐ長野県人会ができたそうです。そこに東北帝国大学にいた長野県出身者が合流して、県人会がその後、連綿と続いているという訳です。

平成15年・新年会のスナップ写真

 ▲平成15年・新年会のスナップ写真▲

  仙台駅東口近くの大慶ビル(イーストパスタ)で2月2日に行われました。毎年、新年会では、会員のだれかが講演をします。今回は依田副会長の「支倉常長探訪記」と題するお話がありました。依田さんは勤めておられた放送局の特別番組の制作に携わっておられたとのこと。配布資料は3枚のヨーロッパ地図で、それには一行の旅行行程が記されていました。現地の資料の基づいたすばらしいお話でした。
下左の写真は懇親会での女性参加者の合唱です。たしか「たれか故郷を思わざる」でした。下右の写真は野沢菜。

 上の写真は五平餅です。地方によって餅の形や串の材質や形が違います。焼き方はまず軽く素焼きをして、タレをつけ、もう一度焼いて食べます。(食べ方は上下の顎を開いたり閉じたりして、噛みながら味わいます。歯のない方は、固形物でのどを詰まらせないよう、かけ声をかけて一気に飲み込んで下さい。詰まらせると新年の最初の新聞に出て、五平餅の名声が下がってしまいます。)